〇妻がくも膜下出血で緊急入院したが、幸運にも元気に回復した話(人に感謝される仕事がしたいとの考えに至った経緯)

数年前に私の妻がくも膜下出血で緊急入院しました。その当時の状況ですが、家で飼っていた金魚の水槽の水を入れ替えた直後にその場で妻が横になってから、全然動こうとしません。10分経ってもそのままの状態だったため様子を聞いたところ、「起き上がれない」と言うのでこれは緊急事態だと思い、すぐに救急車を呼んで病院へ行きました。搬送された病院のドクターから言われたことは「奥様の病名はくも膜下出血です。この病気の特徴は1/3は元通りの生活に戻れますが、1/3は目が見えないとか下半身不随といった日常生活に支障がでる重い障害が残ります。あとの1/3は亡くなるという非常に危険な病気です。また、この病気が100%完治することはありません。必ず何かしらの障害が残ります」との説明を受けた時は言葉を失ったと申しますか、どう返答していいのか戸惑いながらも「先生、うちには4歳の子供がいます。母親のいない生活は本当にかわいそうでなりません。何とか妻を助けてください」と涙を浮かべながら話したのを今でも鮮明に覚えています。

ただ、幸運な出来事が幾つかございまして、1つ目は連日帰宅が遅かった私が妻が倒れた日はたまたま家に早く帰っていたという点です。もし子供達(当時14歳、11歳、4歳)しか家にいなかったら、救急車を呼ぶのがもっと遅かったと思います。2つ目は搬送された病院の当直医が脳外科医だったという点です。日曜日の18時過ぎに病院へ運ばれたのですが、専門医に的確な処置をすぐにしていただくことができました。3つ目は妻が13時間という大手術を受けた1週間後に京大病院で初めてパーキンソン病患者にiPS細胞の脳移植手術が行われたのですが、その難しい手術を執刀した先生に妻の手術をお世話になれたという点です。(京大病院初の世界的な注目を浴びている手術で失敗が許されないためエース格の先生が執刀されたと思われますし、こちらがその先生を希望しても執刀してもらえるかどうかわかりません)こういった幾つもの幸運が重なって今では元通りの生活を送っておりますが、妻に残った後遺症は何かと申しますと『新しいことが覚えにくい』というものです。「先程出会った人の名前、何だったかな?」みたいな障害ですが、健常者の人であったとしても出会った人の名前が出てこないなんて普通にありますし、この程度で済んで本当に良かったと心の底から思っております。また妻が入院している間、私の両親に京都へ来てもらって家事や保育園への送迎をしてもらったのですが、両親が京都から福知山へ帰った2ヶ月後に、父親に大きな大動脈瘤が発覚し手術を受けました。もし父親が入院中のときに妻が倒れていたらとても手伝ってもらえなかったので、この点も幸運だったと感じております。

そして、何と言っても私自身が妻に大変な負担をかけていたということがハッキリとわかりました。とある経営者の勉強会で「私が病気になったら困るので、奥さんが身代わりでガンになった」とお話しされた方がいらっしゃいました。もしかしたら、私の妻も私の身代わりに倒れてくれたのかもしれません。

もちろん同じことを繰り返すわけにはいきません。私自身が変わらなければいけません。そこで『妻がやって当たり前』と思っていた考えを悔い改め、妻に対して「ありがとう」と感謝の言葉を口にするよう心掛けました。そうしていると、妻だけではなく私の周りの人に対しても「ありがとうございます」と感謝の言葉が自然と出てくるようになりました。

最近感じていることは、自分から人に対して「ありがとうございます」と感謝することによって私自身を成長させてもらっているという自覚がでてきたことと、お客様から「わかりやすい説明や色々な提案をしてもらってありがとうございます」と感謝されることによって、事務所の業績も上がってきたことです。人に感謝をされる仕事をして業績が伸びないはずがありません。心がこもっていない表面的な感謝や見返りを求めた下心ありありの感謝をするのではなく、敬意を込めた心からの感謝をこれからも実践していく所存です。